2005年07月16日

7月16日放送分 祇園祭 久世駒形稚児について




綾戸国中(あやとくなか)神社禰宜  杉浦 和(かなふ)さん

古く、国中社は久世郷全体の郷社でしたが、戦国時代に国中社が綾戸社境内に移転され綾戸国中社となりました。ここから、祇園祭の御輿を先導をする久世の稚児(駒形稚児)を出しています。
スサノオノミコトをお祀りしているところは多いですが、国中社の荒御魂と八坂神社の和御魂が一体になって一つの神になると古文書には記されています。

祇園祭は17日の巡行で終わると思っておられる方が多いですが、その神幸祭と24日の還幸祭があります。そのときには、国中社のご神体である馬の頭(駒形)を胸に戴いた稚児がお供20人くらいと行列の一番前を馬で歩き、この稚児がいないと祭りは始まらないとされています。長刀鉾の稚児も下馬する八坂神社の門を乗馬のまま入っていきます、いつから始まったのかははっきりとは解らないんですがね。
ご神体を持って歩くというのは余り無いことだと思います。普段はお社の中の扉、御簾、幕の奥の唐櫃の中におられます。

毎年二人、当社の氏子さん150軒ほどの中からでてもらっています。巡行の間馬に乗り、大人が手を貸すことなくすべて自分でやらなければなりませんから小学校3,4年生くらいの子どもさんです。
廻りはずいぶん新しい住宅が増えましたが、古くからすんでおられる方にとっては当然のおつとめという感じで、「そろそろお願いしますよ。」というふうにしてずっと続いています。
祭りの間は長刀鉾ほどきびしくはなく、お稚児さんもふつうに学校へ行っています。
戦前まではここの久世から八坂神社まで稚児は馬に乗って、お供は歩いていっていました。当時は普段はお百姓をされている人も多く、なれていたとはいえ大変だったでしょうね。

行列は雨に降られるのが一番困ります。なにせご神体ですから、お稚児さんがポンチョをかぶったり、一度は車で移動した記憶もあります。還幸祭は夜遅いので、通りで子どもさんが花火をされて馬がおどろいてしまったこともあります。近年は三条通もにぎやかにお迎えしてもらってうれしいです。はじめの頃は奉納太鼓で馬が驚いたこともありましたね。



ばったり床几   山鉾巡行と電柱・電線
「電線の横断の無い新町通」
鉾の巡行に備えて、新町通にははじめから横断線が無い。かつての市電の架線も巡行の時には一時的に 外していた。あと祭りがあった頃は三条通を山が巡行していたが今はそれも難しい。

「電柱にはどんな電線がついているのか」
電力や電話の他にも、ケーブルテレビ、有線放送、データ通信会社などさまざまな企業のものや、官庁・警察や市の連動信号機や街路灯の配線等。すべてを見渡して管理していくのはなかなか大変。

「無電柱化はどうして難しい ?」
電線共同溝(C.C.BOX)方式が主流だが、道路上に置く変圧器が必要。道路の狭い三条通などでは難しい。まちがどんどん変化しているところでも難しい。それとやはり費用の問題。

スリム電柱、セットバック型等、電柱は残ってもいろいろ工夫することによってずいぶん景観上の配慮をすることも出来ると思います。
posted by コルビジェ at 14:01| Comment(0) | TrackBack(0) | コルビジェ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。